くすえだ鍼灸院 院長がまた本を出版しました 題名は『鍼灸医学・九鍼は本当に鍼なのか』です 内容4

第4編では「『黄帝内経』は鍼医学の書なのか」という題で論議しています。 前編で鍼灸医学の古典派の教科書は『素問』『霊枢』『難経』と書きましたが、『素問』と『霊枢』は『黄帝内経』という1冊の本から分かれたものではないかという理論があります。 つまり古典派の鍼灸の教科書の大本は『黄帝内経』という書物だったのではないかといわれています。 ただし『黄帝内経』という書物は後漢の時代に書かれた『漢書芸文志』に記載があり実在していたことは確かなのですが、その後散逸してしまい、原型は残っていません。 前に書きましたが古典派の教科書が『素問』『霊枢』と言われているならば、その大本とされる『黄帝内経』とされる書物が、鍼灸医学の原点の教科書であったといえますし、そのように考えられています。 しかし『漢書芸文志』は前漢の時代の図書館といえる書物庫にあったということです。 前漢は紀元前206年から西暦8年とされています。 これらとは別に、鍼医学はいつ頃できたかという推論をしますと、現段階では紀元前100年ころから西暦1年ころくらいのどこかとしか言えないのです。 私は、縫い針の進歩から紀元前50年くらいから治療鍼が発明され、西暦1年ころにある程度の理論体系が作られたのではないかと推論しているのです。 そうすると、前漢の終わりごろになります。 この推論が正しければ、前漢の図書館といえる書物庫にあった『黄帝内経』という書物に鍼のことが書かれているとは思えないのです。 当然このころの書物は、木簡・竹簡といわれる、木や竹の短冊状に切った木片をつなぎ合わせたものです。 大変な労力で作業されるものなのです。しかも権威ある漢王国の図書館に収蔵されるには、それ相当の権威が必要でしょう。 まだ新興の鍼技術を収めた書物がそう簡単には収蔵されないと思います。 『漢書芸文志』は後漢(28年~220年)の時代になってから完成されていて、その成立は78年とされています。それも内容は目録だけです。 前漢が滅びてから70年もたってやっと出来上がっているのです。時間の進み方が違うと思いますが、前漢の図書館にはまだ鍼の教科書はなかったのではないかと私は推論しているのです。 つまり黄帝内経は鍼灸医学の原典と思われていますが、本当は違うのではないかということなのです。